あなごめし弁当の予約

予約弁当のお渡しについて
弁当窓口が1か所しかございませんので、当日購入のお客様も、予約購入のお客様も、同じ列にお並び頂き順番にお渡ししております。繁忙日におきましては、ご予約頂いたお客様におかれましてもお渡しまでにお時間を頂戴する可能性がございます。お弁当をご予約して頂く際には本内容につきまして何卒ご了承のほど宜しくお願い申し上げます。ご迷惑おかけします事、何卒ご容赦下さい。

ご予約の受付は1ヵ月前からとなります。
以下全て税込価格です。

小:2430円=3/4サイズ
:2700円=基本サイズ
大:3240円=3/2サイズ

電話での予約受付
 
日にち、時間、サイズ、個数、お名前、電話番号をお伝え下さい。
 


メールでの予約受付

・当日の予約は電話予約をご利用下さい。
・メールの返信をもって予約の確定です。

日にち、時間、サイズ、個数、お名前、電話番号を記載て下さい。
 


店頭での予約受付
 
日にち、時間、サイズ、個数、お名前、電話番号をお伝え下さい。
 


キャンセルについて
 
お早目にご連絡下さい。
 


ご予約お待ちしております。
 
ご予約した店舗でお受け取り下さい。

お弁当のこだわり

お持ち帰りの弁当が美味しい理由

焼き立ての穴子と炊き立ての味飯。出来立てのお弁当はもちろん格別の味わいです。穴子の蒲焼の旨味を味飯が吸い取り、味に深みが増していき、出来立てから2時間程度たった頃もまた洗練された味になります。お米のブレンド、たれやだしの配合、穴子の焼き加減、折材の材質など細部までとことんこだわり「冷めても美味しいあなごめし弁当」を実現しております。

 
柏井先生の記事の抜粋です 

「うえののあなごめし弁当は幾重にも穴子の旨みが重なり、冷めてなお旨さが際立つ」出来立ての熱々の料理か、冷めたそれか、どちらが美味しいかとなれば、当然のごとく前者に軍配が上がるのが世の習いだ。ましてやそれが「ご飯もの」となると、より一層その傾向が顕著になる。たとえば「鰻重」。炊き立てのご飯に焼きたて熱々の鰻がのるものに勝るものはない。だが例え、姿形は似ていようとも、「あなごめし」となるとその常識はあっさりと覆されてしまう。とはいっても、それはただひとつ、安芸の宮島へと渡る船着き場に古くから店を構える「あなごめしうえの」に限っての話ではあるが。穴子の骨から取った出汁に味をつけて炊いたご飯、じっくりと焼き上げた穴子、ただそれだけの取り合わせであるのに、まるで複雑に糸を絡ませた織物のように幾重にも旨みが重なる。昼まで待ちきれずに蓋を開けたアルマイトの弁当箱にも似て、つくり手の心がしみじみ伝わる「あなごめし弁当」。冷めるとなお一層美味しさが際立つ。

dancyu ダンチュウ 日本一旨い店集めました(文)柏井壽

お持ち帰りの弁当が
  美味しい理由

焼き立ての穴子と炊き立ての味飯。出来立てのお弁当はもちろん格別の味わいです。穴子の蒲焼の旨味を味飯が吸い取り、味に深みが増していき、出来立てから2時間程度たった頃もまた洗練された味になります。お米のブレンド、たれやだしの配合、穴子の焼き加減、折材の材質など細部までとことんこだわり「冷めても美味しいあなごめし弁当」を実現しております。

 
柏井先生の
  記事の抜粋です 

「うえののあなごめし弁当は幾重にも穴子の旨みが重なり、冷めてなお旨さが際立つ」出来立ての熱々の料理か、冷めたそれか、どちらが美味しいかとなれば、当然のごとく前者に軍配が上がるのが世の習いだ。ましてやそれが「ご飯もの」となると、より一層その傾向が顕著になる。たとえば「鰻重」。炊き立てのご飯に焼きたて熱々の鰻がのるものに勝るものはない。だが例え、姿形は似ていようとも、「あなごめし」となるとその常識はあっさりと覆されてしまう。とはいっても、それはただひとつ、安芸の宮島へと渡る船着き場に古くから店を構える「あなごめしうえの」に限っての話ではあるが。穴子の骨から取った出汁に味をつけて炊いたご飯、じっくりと焼き上げた穴子、ただそれだけの取り合わせであるのに、まるで複雑に糸を絡ませた織物のように幾重にも旨みが重なる。昼まで待ちきれずに蓋を開けたアルマイトの弁当箱にも似て、つくり手の心がしみじみ伝わる「あなごめし弁当」。冷めるとなお一層美味しさが際立つ。

dancyu ダンチュウ
日本一旨い店集めました(文)柏井壽

お弁当のレッテル

 

明治の末から大正時代の初めまで使われた最初のレッテルです。明治30年鉄道が開通し、宮島駅が誕生しました。島への蒸気船も走り、海上ルートの重要拠点であった宮島が鉄道と繋がりました。商業地として更に多くの参拝者を迎え、栄えていった時代です。西日本でも有数の歓楽街として繁栄を重ねた江戸時代の文化に、欧州スタイルがミックスされ、宮島内の景色も独特の匂いを漂わせながらお洒落になっていきました。

 

大正時代に使用したレッテルです。山陽鉄道が国鉄として統合され、あらゆる駅弁のレッテルが東京神田の印刷所で刷られた時代です。ご覧のようにレッテルにはコマーシャルが数カ所にわたって載せられています。この時代は、全国の駅弁に毎月宣伝文がこうした形でさしこまれていました。

レッテル全種類

 

レッテルは12種類あります。当時のレトロなデザインや宣伝文は、まさに当時の世相を反映しています。レッテルの中にある宮嶋駅は現在のJR宮島口駅のことですが、戦前までは宮嶋の名前で親しまれていました。明治から大正にかけては金十五銭でしたが、レッテルに宣伝文が入りだした頃から値上がりし、三十銭になってしまいました。昭和に入るとKIOSK(駅売店)の前進である国鉄弘済会が組織され、お弁当の値段も地域毎に統制される時代になりました。大正時代の三十銭も二十五銭で統制されました。

 
12種類のレッテルに併せて、「宮島エスケープ」という宮島案内も12種類ございます。レッテルの端に書いてありますので是非ご覧になって下さい。